日本と繋がりのある宜蘭を紹介します

 

旺旺(旧宜蘭食品)と日本

 

 

羅東運動公園

 

 

冬山親水公園

 

 

礁渓温泉

 

 

蘇澳冷泉

 

 

西郷堤防

 

 

神風特攻隊

 

 

太平山と檜

 

 

南方澳

 

 

サヨンの鐘

 

 

神 社

 

 

 

旺旺(旧宜蘭食品)と日本

        

旺旺食品の事を知ってる人はいますか?

  昔、経営危機に陥っていた台湾の宜蘭食品工業の董事長(社長)は、 起死回生のために岩塚製菓に技術供与を願い出た。 岩塚側は当然拒否。 しかし宜蘭食品側(以下宜蘭と記する)は礼を尽くして粘り強く要請したので岩塚側もこれを受け入れた。その 結果、宜蘭は超V字回復。

  さて、話はここから始まります。 宜蘭は技術もらってハイ終わりなんてことはしなかった。 台湾でもトップクラスの菓子メーカーとなった宜蘭は、中国本土への進出を図る。 その時、大恩人である岩塚に共同出資の話を持ちかけた。 宜蘭の誠実な姿勢を評価していた岩塚は、積極的にこれを受け入れた。

  宜蘭と岩塚が共同出資して中国本土進出のために作った企業は旺旺(ワンワン)と言い、 宜蘭の中国進出ノウハウと、岩塚の製菓技術をもった旺旺は、瞬く間に中国本土で急成長した。

 

  今では旺旺グループとして中国本土で大きなシェアを握る巨大食品グループとなった。

 

 旺旺が販売している菓子には今でも岩塚製菓の文字がある。

  これだけの大成功を収めても、さすがは台湾人、恩は決して忘れない。

 

 董事長は上海に旺旺本部ビルを新築した際、岩塚の槙社長と家族を招き、 居並ぶグループ幹部や取引先関係者に、岩塚が大恩人であることと、 以前技術供与を承諾してくれた当時の岩塚製菓社長、槙計作を「旺旺の父」として称えたのだった。

 

  槙計作の銅像が除幕され、董事長は自分の銅像ではなく恩人である槙計作の銅像を本部に据えたのである。


 そこには、槙計作や岩塚製菓との友情の歴史を記した銘板もある。

 

羅東運動公園

 

 羅東駅から公正路を2kmほど西に行くと47haの敷地に広がる羅東運動公園にたどり着きます。広大な緑地を持つ公園では、野球、バスケットボール、テニス、水泳、陸上競技、ジョギングなどのスポーツを楽しむだけでなく、バードウォッチをしたり、散歩しながら自然の美しさを味わうこともできます。また、サイクリングにもうってつけです。

 

 羅東運動公園は、スポーツ施設、地形の景観、水流の景観、森林エリアの四大テーマに分け作られています。また、地勢を生かした中国伝統庭園や、日本風の 味わい、更に欧米の広場設計手法を取り入れ、整然とした美しさを呈しています。設計を担当した日本の高野景観株式会社は、次のように述べています。「この運動 公園のリゾート哲学は、自然に対する親近感を与え、青い空と白い雲を仰ぐことができ、清らかな光の中、光と雲と影がいっしょに動いているのを感じることが できることです・・・・」。

 

冬山親水公園

 

日本の著名な象設計集団が設計した公園です。

 

礁渓温泉

 

 天井までの高さ m 坪の檜造りの湯船にゆったり浸かると、身も心も安らぎます。何となく、日本の温泉に入った雰囲気。それもその筈、温泉を設計したのは日本の象設計集団です。

 

蘇澳冷泉

 

冷泉  1928年、日本の軍人「竹中信景」によって、冷泉が発見されました。水質は上等で、22℃の“低温鉱泉”と して、東南アジア唯一の独特な資源です。 また、冷泉には、大量の二酸化炭素が含まれており、このミネラルウオーターを利用した“ラムネ”や羊羹が開発さ れ、蘇澳の二大特産品となっています。

 

  冷泉浴は、皮膚病に効果があり、この冷泉を飲用すると胃腸病に効くと言われています。

 

   また、中山路沿いには、冷泉を利用して作る羊羹が評判の老舗店「鳳鳴蘇澳羊羹本舗」があります。こちらの店の羊羹は日本人から製造法を学んだとかで、日本と変わらぬ味がします。

 

西郷堤防

 

 

西郷菊次郎  宜蘭は、日本統治時代の1897年から1920年まで「宜蘭庁」という行政単位でした。その宜蘭の 初代庁長をつとめたのが、西郷隆盛の息子である、西郷菊次郎です。

 

  西郷菊次郎が後世に残る仕事をしたのは、宜蘭庁長の時でした。河川工事、農地の拡大、道路の整備、樟脳産業の発展、農産物の収穫増加政策、土匪の反乱を治 めて住民の生活を安定させる、そして教育の普及などの事業に取り組みましたが、一番の偉業は、巨額を投じ、『西郷堤防』と呼ばれる宜蘭川堤防(全長約 1.7km)を完成させたことでした。
 
  蘭陽平野の中心に位置する宜蘭市は、東は太平洋に面し、西側郊外には美しい田園風景が広がり、その中を宜蘭川(蘭陽渓)がゆっくり東へ流れていきます。風 光明媚なその景色も、夏、台風の直撃によって大暴風雨となると一変します。宜蘭川の濁流は堤を乗り越えあるいは堤を切断して田畑や家を押し流し、住民は連 年洪水に苦しめていました。
 
  1年5ヶ月の工事によって完成した宜蘭川堤防によって洪水は起きなくなりました。その恩恵に感激した宜蘭の民衆有志は、『西郷庁憲徳政碑』と刻んだ高さ 4mほどの石碑を立てました。その石碑は、現在も宜蘭川河畔に屹立し、菊次郎の徳政を後世に伝え続けています。

 

  菊次郎が官邸として使用した建物が「宜蘭設治紀念館」として宜蘭市の新月デパート傍に保存され、宜蘭の歴史を語る展示館となっています。

 

神風特攻隊

 

 日本を守るため最後の神風特攻隊が飛び立ったのは沖縄からではなくここ宜蘭に有った員山飛行場からでした。

 

 員山神風機堡資料館には写真資料や敵を欺くために作られた竹製の実物大の飛行機が置かれています。

 

 周辺には今でもたくさんの日本軍の軍事施設が残されており、歴史を感じ取ることができます。

 

太平山と檜

 

 日本人にとって阿里山は有名ですが、宜蘭県の太平山は檜の産地として阿里山や八仙山をしのいでいました。

 

 良質な檜を日本に輸出するために、羅東から太平山の麓の土場まで、太平山森林鉄道が建設されました。 現在も当時の蒸気機関車や駅舎等が保存され、鉄道ファンを魅了しています。撤去された線路跡をサイクリング車に乗って行けば、所々に当時の駅舎を見ることができます。

 

 太平山は標高1950mで、大同郷にあります。山頂付近にはポンポン車(蹦蹦車=トロッコ鉄道)が運行されており、山林を縫うように走るかわいい車は観光客の人気の的です。

 

 昔の宿舎を利用して作られた「太平山文史館」では、当時の様子をうかがうことがでいます。

 

南方澳

 

 1921年に日本人によって開拓された漁港です。沖縄や四国からの移民が住んでいました。西郷隆盛が台湾を偵察した際にここを訪れ、現地の女性と一子を儲けたという言い伝えがあります。

 

 ここから、日本の与那国島までは僅か110Km しか離れてなく、八重山の人達との繋がりが感じられます。また、晴れた日には与那国島から台湾の山々を肉眼で見ることができます。南方澳が属する蘇澳鎮は石垣島と姉妹都市になっています。

 

 週末ともなると、台北近郊から安くて新鮮な海鮮料理を求めて、港は活気づきます。また、400kgもの巨大なサンゴから造られた珊瑚媽祖や黄金の媽祖(媽祖=海の神様)をお参りし、旅の無事をお祈りするのも良いかもしれません。

 

サヨンの鐘

 

 宜蘭県南部の南澳で起こったサヨンの鐘の悲劇は戦時中に映画化されました。サヨンを慕った歌は、古賀政男作曲、西條八十作詞によって作られ、今日でも原住民の間に歌い継がれています。

 

 1921年に日本人によって開拓された漁港です。沖縄や四国からの移民が住んでいました。西郷隆盛が台湾を偵察した際にここを訪れ、現地の女性と一子を儲けたという言い伝えがあります。

 

 ここから、日本の与那国島までは僅か110Km しか離れてなく、八重山の人達との繋がりが感じられます。また、晴れた日には与那国島から台湾の山々を肉眼で見ることができます。南方澳が属する蘇澳鎮は石垣島と姉妹都市になっています。

 

神 社

 

 宜蘭では蘇澳に有った金刀比羅神社をはじめ数々の神社跡を訪れることができます。地元のグルメに舌鼓を打ちながら、神社跡を訪れて巡るのも好いかも知れません。

 

 こちらのホームページのサイト内検索で「神社」と打てば、県内の全ての神社の情報を得ることができます。